最初にオープンするサイトをヤマザクラサイトと決めて、北側1/3に続いて中央部分を整地し、ようやくヤマザクラサイトの整地も一段落。母屋跡にユニットハウスを設置できるようにするため、母屋跡のかたずけに着手しました。
#「マップ」にbefore-after写真集を追加しました。
先日平らにならしたヤマザクラサイトの北側部分の状態を確認したところ、水を含んで柔らかくなっていて、もう少し乾かさないと油圧ショベルは入れそうにない。ということで今日はヤマザクラサイトの中央部の根かきと、粗朶焼き場の移動をすることにした。
ならした北側部分の端に粗朶焼き場を移動する。そのついでに大きすぎて処理に困っていた幹の直径50cm弱の巨大な松の根2つを燃やしてみることにした。油圧ショベルで松の根を移動し、土がついていない切り株のほうを移動後の粗朶焼き場を囲むように置く。何か月もここで粗朶焼きを続けていれば、さすがの松の大木の根もちょっとづつは燃えるだろう。
土木作業はできないので、木の間引きついでにキャンプ場予定地の入り口の木を間引くことにする。ただし、大規模林道ののり面に生えているたくさんの細い松を伐るのは、その土地の所有者である町の許可をもらってから、さらに伐った木が万一道路に倒れてもいいようにこのあたりの大規模林道が雪で通行止めになってから伐ることにしよう。
3時前、ごろごろと雷の音が聞こえ始めたので慌ててかたずけていると、南から白い筋のように見える雨の幕が近づいてきたと思ったら土砂降りになった。雷もどんどん近くなってきて、家に帰ってコーヒーを入れようとしたら停電。電気がない中ガスでお湯を沸かしてコーヒー休憩。しばらくすると電気はついたが作業にならないので役場の建設課に行くことにする。役場につくと、まずは事情を説明して林道ののり面の木の伐採の許可をいただく。ついでに入り口に案内看板を立てるための手続きを確認すると、場所や看板の大きさ等をかいた「占用届」を出して問題ないかどうか審査する必要があるとのこと。早めに看板を立てて、看板の下に「予定地」と張り紙しておいたら面白いので、春には看板を立てられるように冬の間に準備しよう。
朝から伐り続けてようやく3時ごろ、小川まで人が通れるようになった。小川は護岸工事はされていない天然の浅い川で、水遊びするにはちょうどいい感じだ。ホタルもいそうなので来年の夏が楽しみだ。
コーヒーブレイクのあとはそれまでに運びきれなかったヤナギの枝を粗朶焼き場に運んでは燃えやすい大きさに切っては燃やす。日が暮れるころなんとかすべての枝を燃やし終えた。帰る前に火の様子を確認したら、大きな松の根の下のくぼみの中で暖炉のように火が赤々と燃えていて、なんだかほっこりしてしまった。
粗朶焼き場の松の根の燃え具合を確認すると、根の間に挟まった土が焼け残って素焼きの土器のようになってあちこちに突き出していた。土のところは燃えないのでバールで土を崩して落としておく。秋が深まり、キャンプ場予定地の中には落ち葉やドングリがたくさん落ちていた。秋の落ち葉掃きはそこそこの作業量になりそうだ。
お昼に自宅に帰るとちょうど隣家の前のナナカマドの木にヒヨドリが集団でやってきた。ヒヨドリは東京ではよく見かける鳥だったが、こちらに来てから見たのは初めてだ。
ヤマザクラサイトの整地作業が一段落したので、次はユニットハウスを設置する母屋跡を整地することにした。母屋跡には、5月に暗渠を敷設した後、蔵から出てきた物やはがした土壁、木材、母屋の下から出てきた大量の敷石などをあちこちに置いてあるので、これらをすべて別の場所に運び出す必要がある。まずは作業道の南のはずれに台を置ける場所を見つけて、地面のでこぼこを直しておく。
そのあと、補助金申請書に添付する事業計画を審査する商工会議所に行き、事業計画の審査のスケジュールを確認。ついでに青色申告についての不明点を教えてもらう。担当の方は五日市から通っているバイクが趣味の人で、オフロードバイクで遊んだ後は現地で洗車する場所が欲しいといっていた。参考にしよう。
次は浄化槽の建設に関して業者を紹介してもらおうと役場に行く。町内の浄化槽設備士がいる会社を教えてもらい、すぐ近くの浄化槽の保守点検もやっているという会社に行く。受付の人が新人さんで、少々ドタバタしたものの、何とか担当の方に連絡が付き、次の日に現地を見てもらえることになった。
雨降り後の水路の掃除と作業道入り口の空き地を広げる作業をしていたら、浄化槽の担当の方が来られた。一つ下の弟の中学校の同級生で、隣の集落で釣り堀を経営しているとのこと。トイレ棟の建設予定地をみてもらい、浄化槽の工事について相談する。
午後は母屋跡のかたずけを継続する。作業道のはずれに用意した置き場に、廃材を使った台を移動し、そこに蔵の中にあったものを移動してブルーシートをかける。土壁入りの土のうを置く台を移動したところで時間切れ。
今日も母屋跡のかたずけに専念。崩れた土壁を入れた土のう袋を前日に作った台に運んでブルーシートをかける。
11時ごろ、Oさんが来週の週末にオートキャンプ場でイベントをやるからとチラシを持ってきてくれたので、一緒に集落のはずれに置いてあるユニットハウスを見に行く。筐体はあまり傷んでいないが、屋根の一部が雨漏りしていて天井の合板が剥げていた。もともとリフォームする前提だったのでこのくらいなら想定の範囲内だ。
そのあと、母屋跡に薪として積んであったヤナギの丸太を粗朶焼き場に運び、製材用にと置いてあった太さ30cmの松の木を油圧ショベルで軽トラダンプに積んでヤマザクラサイト奥の丸太置き場に運ぶ。
ようやく、何か月ぶりかに母屋跡の水路際に置いてあった物がすべてなくなり、あとは束石の山を残すのみだ。
乗用車で一緒に旧191号線を東に向かう。深入峠(標高875m)を超えて少し先にある沢の旧道から斜面を少し上ったところに沢の水をせき止めた取水口があり、そこから小板方面に向かって旧道に平行するように水道管を埋めた跡がある。その先、深入峠の手前の少し下ったところに濾過槽2つと沈殿槽と貯水槽があり、その横のブドウ谷という沢からも水を引き込んでいた。ブドウ谷の周辺にはたくさんのブナの木が生えていて、谷に流れる沢に沿って水道管を埋めた跡が下っているのだが、その横に子供のころに通ったことがある近道があった。
父は懐かしかったのだろう、足が悪いにも関わらず、笹が茂った坂道を降りるというので、私が先導してノコギリで道に生えている細い木を伐って通りやすくする。ところどころ道がはっきりしなくなっているが、道沿いに残る、かつて深入山に牛を放牧していた時の柵がいい目印になっていた。「ひょうたん曲がり」という旧国道のくねくね道の最初のカーブに合流して近道は終わる。
水道はそこから開拓地の北の端を通り、川を渡って、「カルキ小屋」と呼ばれている塩素の自動投入装置が設置されている小屋を通り、旧道の南側の道際をずっと通っているという。父が知っている範囲をぐるりと回って水道施設の探検は終了。忘れないうちに後日GPSで場所を確認しておこう。
そのあと、キャンプ場予定地に行き、母屋跡の真ん中に積み上げてある束石の移動に着手する。大きな石はチェーンをかけて油圧ショベルで釣り上げ、小さな石は人力で持ち上げて6輪ダンプ運搬車に積み、ヤマザクラサイトの奥の石置き場に運ぶ。
5回運んで、石の山が1/3に減ったところで本日の作業は終了。
今日の目標は、母屋跡の整地していないところに積んである石を全部かたずけること。
3時のおやつ休憩まで地道に運搬作業を続け、ついに母屋跡の石の山がなくなった。重機などない昔にこれだけの石をどうやって運んだのか、感心するばかりだ。
#「マップ」にbefore-after写真集を追加しました。
9/25(水) 松の巨大な根の焼却に挑戦する
朝の気温5℃、秋晴れの気持ちのいい朝。真っ先に色づき始めた庭先のオオデマリ |
ならした北側部分の端に粗朶焼き場を移動する。そのついでに大きすぎて処理に困っていた幹の直径50cm弱の巨大な松の根2つを燃やしてみることにした。油圧ショベルで松の根を移動し、土がついていない切り株のほうを移動後の粗朶焼き場を囲むように置く。何か月もここで粗朶焼きを続けていれば、さすがの松の大木の根もちょっとづつは燃えるだろう。
9/26(木) ヤマザクラサイトの中央部分の根をかく
今日もヤマザクラサイトの中央部の根かき。かいた根を新しい粗朶焼き場で燃やすのだが、笹の根だけではすぐに燃え尽きて火が消えてしまう。この調子では当分松の根は燃えそうにない。
9/27(金) ヤマザクラサイト内の木のツルを伐る
週末は雨予報。根をかいてでこぼこになった地面をそのままにしておくと雨で水たまりができてぬかるみになってしまうので、雨が降る前に整地しておきたい。というわけで相方はひたすら油圧ショベルでヤマザクラサイトの中央部の根をかき終えた場所を平らにならしていく。
私ははしごや高枝ばさみを駆使して、ヤマザクラサイト内にある木々に絡みついて見た目が良くないツルや枯れた枝を切ってすっきりさせる。資材置き場なら見栄えは気にしなくていいやと手を付けずにいたのだが、テントサイトにするならほおっておくわけにはいかない。高いところのツルや枝を切るのに使っている高枝ばさみは「アルス」というメーカの「ズームチョキ」という先端にはさみとノコギリがついている製品。最長3mまで伸ばせる柄はアルミ製で軽く、ノコギリの切れ味も小さいながらなかなかで、細いツルや枝ははさみで、太めの枝はのこぎりでと、ここでの使い方にぴったり。いまやお気に入り道具の1つになっている。
9/28(土) ヤマザクラサイトの南側の木を間引く
夜少し降っていた雨が上がっていたので、キャンプ場予定地に様子を見に行く。
すると作業道の北側の入り口が土砂でふさがっていた。先日、自宅近くの別荘で私道をコンクリート舗装にする工事をしていた。ヤマザクラサイトの中央部分を整地するには少し土が足りないので、もし捨てる土が出たら、キャンプ場予定地に持ってきてもらっていいですよ、と工事の人に話をしていたのだ。昨日、私たちがキャンプ場予定地を引き上げた後、工事の人が2トンダンプに2杯ほど土を運んで来て前回降ろしてもらった場所に降ろしたら土が多すぎて作業道にはみ出してしまったらしい。あとで油圧ショベルで移動しておかねば。
すると作業道の北側の入り口が土砂でふさがっていた。先日、自宅近くの別荘で私道をコンクリート舗装にする工事をしていた。ヤマザクラサイトの中央部分を整地するには少し土が足りないので、もし捨てる土が出たら、キャンプ場予定地に持ってきてもらっていいですよ、と工事の人に話をしていたのだ。昨日、私たちがキャンプ場予定地を引き上げた後、工事の人が2トンダンプに2杯ほど土を運んで来て前回降ろしてもらった場所に降ろしたら土が多すぎて作業道にはみ出してしまったらしい。あとで油圧ショベルで移動しておかねば。
天気予報ではこの後そこそこの雨が来る予報だったので、雨に備えてブルーシートに重しを載せたりしていると、10時前に土砂降りになってしまった。早めに自宅に引き上げ、昼ご飯を食べているうちに雨はあがり、晴れ間が出てきたので、キャンプ場予定地に行ってみる。さすがに地面は水を含んでぬかるんでしまったので、土木作業はあきらめ、林業をすることにする。
ヤマザクラサイトの南側奥の道路際の木が込み合っていて日当たりが悪いので、枯れた木や松の下枝や細い杉等をチェンソーやノコギリで伐って間引いていく。中間地点にある太いマユミの木を伐ったところで、伐った木のかたずけは翌日に持ち越し。
整地後の場所(左)と整地前の場所(右)で出会ったヤマアカガエル。 同じ種類のカエルとは思えないほど、体の色が地面の色に同化していた。 |
9/29(日) 小川へ行く道の草を刈る
前日に伐ったヤマザクラサイトの奥の木を適当な長さに切って軽トラダンプに積んで粗朶焼き場に運ぶ。うっそうとした感じだった作業道の突き当りに木漏れ日が差し込んで明るくなり、木立の向こうには深入山が見えるようになった。
そのあとは作業道をふさいでいた土砂を軽トラダンプに積んでヤマザクラサイトの整地中の場所に降ろす。相方が油圧ショベルでその土を広げてならしている間、私は粗朶焼き場に運んだ木や枝を適当な長さにしながら焼いていく。
木を間引いたおかげで明るくなった作業道中間地点(after) |
木を間引く前のうっそうとした作業道中間地点(before) |
そのあとは作業道をふさいでいた土砂を軽トラダンプに積んでヤマザクラサイトの整地中の場所に降ろす。相方が油圧ショベルでその土を広げてならしている間、私は粗朶焼き場に運んだ木や枝を適当な長さにしながら焼いていく。
ヤマザクラサイトの整地が進んでくると、その前に広がるネコヤナギと水草にびっしり覆われた元田んぼの向こうにある小川に散歩できるようにしたいよね、という話がでてきた。ここに遊歩道が作れるかどうか、小川がどんな状態か、まずは草を刈って調べることになった。
土地の境界の段差に沿ってヤマザクラの木の根元から西に向かって、1m程にのびた水草を刈払機でなぎ倒しながら進んでいくと、ネコヤナギの木々の間に丸く草が倒れている場所があった。多分イノシシのねぐらだろう。我々が進入して彼らの縄張りを荒らしているわけで、イノシシにとってはいい迷惑なんだろうが、あきらめて別の場所に引っ越してもらうしかない。そうこうしているうちに、ネコヤナギの木の枝が密集している場所に突き当たる。ここからはのこぎりで1本づつ枝を伐って進む。1mほど進んだところで時間切れ。
土地の境界の段差に沿ってヤマザクラの木の根元から西に向かって、1m程にのびた水草を刈払機でなぎ倒しながら進んでいくと、ネコヤナギの木々の間に丸く草が倒れている場所があった。多分イノシシのねぐらだろう。我々が進入して彼らの縄張りを荒らしているわけで、イノシシにとってはいい迷惑なんだろうが、あきらめて別の場所に引っ越してもらうしかない。そうこうしているうちに、ネコヤナギの木の枝が密集している場所に突き当たる。ここからはのこぎりで1本づつ枝を伐って進む。1mほど進んだところで時間切れ。
9/30(月) キャンプ場予定地入り口の木を間引く
暗いうちにざっとまとまった雨が降り、ヤマザクラサイトの地面はすっかりぬかるんでしまった。土木作業はできないので、木の間引きついでにキャンプ場予定地の入り口の木を間引くことにする。ただし、大規模林道ののり面に生えているたくさんの細い松を伐るのは、その土地の所有者である町の許可をもらってから、さらに伐った木が万一道路に倒れてもいいようにこのあたりの大規模林道が雪で通行止めになってから伐ることにしよう。
作業をおえるころ、夕焼け色に染まった雲 |
10/1(火) 役場にのり面の木の伐採の許可をもらいに行く
今日の天気予報によると3時頃からまとまった雨が降るとのこと。雨が降る前に黒土に真砂土を混ぜてならし、「雨降って地かたまる」状態にしようと、朝から真砂土を運搬。そのあと、相方はひたすら油圧ショベルで土をかき混ぜては平らにする作業をする。3時前、ごろごろと雷の音が聞こえ始めたので慌ててかたずけていると、南から白い筋のように見える雨の幕が近づいてきたと思ったら土砂降りになった。雷もどんどん近くなってきて、家に帰ってコーヒーを入れようとしたら停電。電気がない中ガスでお湯を沸かしてコーヒー休憩。しばらくすると電気はついたが作業にならないので役場の建設課に行くことにする。役場につくと、まずは事情を説明して林道ののり面の木の伐採の許可をいただく。ついでに入り口に案内看板を立てるための手続きを確認すると、場所や看板の大きさ等をかいた「占用届」を出して問題ないかどうか審査する必要があるとのこと。早めに看板を立てて、看板の下に「予定地」と張り紙しておいたら面白いので、春には看板を立てられるように冬の間に準備しよう。
10/2(水) 小川までの草刈り道が開通
今日の目標は、先日着手した小川までの散歩コースの刈払いを再開して、小川まで行けるようにすること。相方が生い茂るヤナギの木の枝を地道にノコギリで1本づ伐っていき、私がそれを粗朶焼き場に運んでかたっぱしから燃やしていく。生い茂るヤナギの枝を1本づつ伐っていく |
ようやくたどり着いた川幅約1mの小川 |
粗朶焼き場で暖炉のように燃える松の根 |
10/3(木) 母屋跡のかたずけに着手する
日本海を通過した台風の影響で夜中続いた雨風が朝にはだいぶ収まり、青空が垣間見えているのに小雨がふる変な天気。粗朶焼き場の松の根の燃え具合を確認すると、根の間に挟まった土が焼け残って素焼きの土器のようになってあちこちに突き出していた。土のところは燃えないのでバールで土を崩して落としておく。秋が深まり、キャンプ場予定地の中には落ち葉やドングリがたくさん落ちていた。秋の落ち葉掃きはそこそこの作業量になりそうだ。
お昼に自宅に帰るとちょうど隣家の前のナナカマドの木にヒヨドリが集団でやってきた。ヒヨドリは東京ではよく見かける鳥だったが、こちらに来てから見たのは初めてだ。
隣家のそばにヤマゴボウの実を食べに来たヒヨドリ |
10/4(金) トイレ棟建設の調査にいく
今日も朝から雨が降るので、トイレ棟の建設に必要な調べものをしに戸河内に。まずは役場の観光課。新事業に対する補助金に関して申請から交付までのスケジュールを確認する。一番費用が掛かるのはトイレ棟の建設なので、これだけは補助金をもらえると助かる。そのあと、補助金申請書に添付する事業計画を審査する商工会議所に行き、事業計画の審査のスケジュールを確認。ついでに青色申告についての不明点を教えてもらう。担当の方は五日市から通っているバイクが趣味の人で、オフロードバイクで遊んだ後は現地で洗車する場所が欲しいといっていた。参考にしよう。
次は浄化槽の建設に関して業者を紹介してもらおうと役場に行く。町内の浄化槽設備士がいる会社を教えてもらい、すぐ近くの浄化槽の保守点検もやっているという会社に行く。受付の人が新人さんで、少々ドタバタしたものの、何とか担当の方に連絡が付き、次の日に現地を見てもらえることになった。
10/5(土) 浄化槽設置工事の相談をする
朝の気温は7℃。朝霧が出て幻想的な朝。雨降り後の水路の掃除と作業道入り口の空き地を広げる作業をしていたら、浄化槽の担当の方が来られた。一つ下の弟の中学校の同級生で、隣の集落で釣り堀を経営しているとのこと。トイレ棟の建設予定地をみてもらい、浄化槽の工事について相談する。
午後は母屋跡のかたずけを継続する。作業道のはずれに用意した置き場に、廃材を使った台を移動し、そこに蔵の中にあったものを移動してブルーシートをかける。土壁入りの土のうを置く台を移動したところで時間切れ。
10/6(日) 母屋跡の束石以外のかたずけ完了
曇りの暖かい朝。夜のうちにひと雨来たらしく、地面はびしょぬれ。整地したところはなかなか乾きそうにない。今日も母屋跡のかたずけに専念。崩れた土壁を入れた土のう袋を前日に作った台に運んでブルーシートをかける。
ヤマザクラサイトのノリウツギの木に集団でやってきたオナガ |
集落のはずれの夏に草刈りをした路肩で 遅れて咲いていたオミナエシ |
ようやく、何か月ぶりかに母屋跡の水路際に置いてあった物がすべてなくなり、あとは束石の山を残すのみだ。
母屋跡の真ん中に残った束石の山 |
10/7(月) 集落の水道施設の在処を教えてもらう
先日父と水道の話をしている際に、覚えている人がいるうちに、水道のメンテナンスに必要なことを教えてもらわないとね、という話をした。すると、朝、見浦牧場から連絡があり、父が集落の水道設備(給水人口100人以下、一日最大給水量20立方メートル以下の小規模水道)の所在を教えてくれるという。乗用車で一緒に旧191号線を東に向かう。深入峠(標高875m)を超えて少し先にある沢の旧道から斜面を少し上ったところに沢の水をせき止めた取水口があり、そこから小板方面に向かって旧道に平行するように水道管を埋めた跡がある。その先、深入峠の手前の少し下ったところに濾過槽2つと沈殿槽と貯水槽があり、その横のブドウ谷という沢からも水を引き込んでいた。ブドウ谷の周辺にはたくさんのブナの木が生えていて、谷に流れる沢に沿って水道管を埋めた跡が下っているのだが、その横に子供のころに通ったことがある近道があった。
父は懐かしかったのだろう、足が悪いにも関わらず、笹が茂った坂道を降りるというので、私が先導してノコギリで道に生えている細い木を伐って通りやすくする。ところどころ道がはっきりしなくなっているが、道沿いに残る、かつて深入山に牛を放牧していた時の柵がいい目印になっていた。「ひょうたん曲がり」という旧国道のくねくね道の最初のカーブに合流して近道は終わる。
水道はそこから開拓地の北の端を通り、川を渡って、「カルキ小屋」と呼ばれている塩素の自動投入装置が設置されている小屋を通り、旧道の南側の道際をずっと通っているという。父が知っている範囲をぐるりと回って水道施設の探検は終了。忘れないうちに後日GPSで場所を確認しておこう。
そのあと、キャンプ場予定地に行き、母屋跡の真ん中に積み上げてある束石の移動に着手する。大きな石はチェーンをかけて油圧ショベルで釣り上げ、小さな石は人力で持ち上げて6輪ダンプ運搬車に積み、ヤマザクラサイトの奥の石置き場に運ぶ。
大きな石を1つずつチェーンで持ち上げて6輪ダンプ運搬車に積む |
6輪ダンプ運搬車で束石を運ぶ |
10/8(火) ジムの日
いつものジムのレッスンを終え、自宅に到着するときれいな月夜。明日の朝は冷え込みそうだ。10/9(水) 母屋跡の石運びが完了する
朝の気温は5℃。10月前半だというのに思わずストーブをつける。今日の目標は、母屋跡の整地していないところに積んである石を全部かたずけること。
3時のおやつ休憩まで地道に運搬作業を続け、ついに母屋跡の石の山がなくなった。重機などない昔にこれだけの石をどうやって運んだのか、感心するばかりだ。
中央の石の山を運び終えた母屋跡 |
キャンプ場のトイレ 軽トラダンプ・軽トラ 広島県安芸太田町の秋 小規模水道 油圧ショベル・バックホー
0 件のコメント :
コメントを投稿